これまで「物語の中に登場するジュエリーたち」について書いてきたが、ジュエリー自身にも、そのあまりの美しさと高価さのためにさまざまな逸話がある。今回は特に有名なふたつのダイヤモンドをご紹介しよう。
宝石の話
(白水晴雄・青木義和共著/技報堂出版)
ジュエリィの話
(山口遼・著/新潮選書)
あなたは「有名なダイヤモンド」をいくつかご存じだろうか? 世界で一番大きな“カットされたダイヤモンド”である「アフリカの星」や、持ち主を次々に不幸に陥れたという伝説の「ホープダイヤモンド」の名前はあまりに有名なので聞いたことがある人も多いだろう。
【アフリカの星=カリナンⅠ】
では、まず世界最大のダイヤモンド、「アフリカの星=カリナンⅠ」について書いてみよう。
後に「カリナン」と名付けられることになる巨大なダイヤモンドの原石が、南アフリカのプレミア鉱山で発見されたのは1905年1月26日のことである。(カリナンとは、この鉱山を開いた人物の名前である)
最初、この原石はあまりに大きかったため、誰もこれがダイヤモンドであるとは信じられなかったという。その重さは、3106カラットあり、大きさは、長さ101mm、高さ63.5mm、幅50.8mmだった。
カリナンが発見されるまで、世界最大だったダイヤモンドは、1893年にヤーガスフォンティンで発見された「エクセルシオール」で、これが995.2カラットであるから、カリナンの大きさがいかに桁外れであるかわかっていただけると思う。
カリナンは、発見されてから何人かの専門家の手によって鑑定されたが、その誰もが「これまで知られている極めて大きい原石のどれよりも純度が高い」と言っている。
カリナンは最初、原石のままでヨハネスブルグとロンドンで展示され、その後2年間は買い手が表れることはなかったが、結局イギリス国王(エドワードⅦ世)に贈呈されることになり、研磨の大役はアムステルダムのI.J.アッシャー社に依頼された。
アッシャーでは、この世界最大のダイヤモンドを研磨するために特注の機材を用意し、その作業には研磨職人3人が1日14時間働いて8カ月かかったという。
また、このあまりに大きな石を割る作業にあたっては、立ち会った社長が失神したという話も伝わっているが、これはどうやら作り話らしい。だが、作業を担当した勤続20年の職人、アンリ・コー氏は、研磨終了後ストレスから神経衰弱にかかり南アフリカで静養したという。
カリナンは、最終的に大きな9つのダイヤモンドにカッティングされたが、それぞれの大きさは、
9つのカリナン・ダイヤモンド |
NAME |
CARAT |
CUT |
カリナンⅠ: |
530.2ct: |
ペア・シェイプ |
カリナンⅡ: |
317.4ct: |
クッション・シェイプ |
カリナンⅢ: |
94.4ct: |
ペア・シェイプ |
カリナンⅣ: |
63.6ct: |
クッション・シェイプ |
カリナンⅤ: |
18.8ct: |
ハート・シェイプ |
カリナンⅥ: |
11.5ct: |
マーキス |
カリナンⅦ: |
8.8ct: |
マーキス |
カリナンⅧ: |
6.8ct: |
楕円形のブリリアント |
カリナンⅨ: |
4.4ct: |
ペア・シェイプ |
と、なっており、カリナンⅠの大きさは58.9×45.4ミリで、群を抜いて世界最大の研磨済みダイヤモンドである。
これを贈られた国王エドワードⅦ世は、カリナンⅠを“グレート・スター・オブ・アフリカ”(アフリカの偉大な星)と命名し、英国皇帝笏にセットするように命じた。
カリナンⅡは、サイズ44.9×40.4ミリで、現存する2番目に大きなダイヤモンドである。これは、インペリアル・ステート・クラウン(王冠)の正面にセットされ、このふたつは現在でも王室宝飾品として、ロンドン塔で見ることができる。
では、残りのカリナンはどうなったか。実は、ⅠとⅡ以外のカリナンは仕事の報酬としてアッシャー社が保有していたのだが、カリナンⅥは結局国王が買い取り、また、ⅢとⅣは1911年のジョージ国王戴冠式のときにメアリー王妃の新しい王冠にセットされたが、これらはのちに個人的にも使用できるように取り外しできるようになっていた。
最終的にはこれらすべては現在の英国女王エリザベスⅡ世が所有しており、公の場でも着用されることが多いという。
カリナンは世界最大のダイヤモンドだったにも関わらず、発見から売却まで一貫して大手の業者によって行われたために(しかも最終的な持ち主は英国王室)いたって穏やかな運命をたどっている。ただ、このカリナンの原石には大きな劈開部(割れて平らになった部分)があり、もしかすると本当はもっと大きな石だったのではないかという噂が絶えずつきまとった。
歴史の中には、このカリナンの片割れと噂された石が何度も登場しているが、いずれも未確認である。
私の個人的な感想を言えば、世界最大のダイヤモンドが世界でも類を見ないほど純度が高く美しい石だと言う点に感動を覚えてしまう。
残念ながら私はまだ、英国に行ったことがないのだが、いつかカリナンⅠとⅡを見にロンドン塔に行こうと思っている。
【ホープダイヤモンド】
カリナンが世界最大のダイヤモンドなら、こちらは世界最大のブルーダイヤモンドである。
この、持ち主が次々に非業の死をとげると言われた不吉なダイヤモンドは、宝石の魔力を語るのに最も多く取りあげられているが、この、「非業の死」はほとんどが後に脚色されたりこじつけられたりしたものだという。
ホープダイヤモンドが最初に歴史に登場したのは1830年頃のことである。もちろんそれ以前にもホープと思われるブルーダイヤにまつわる話が残ってはいるが、原石の状態だったりカットの形が違っていたりして確認はされていない。
ホープダイヤモンド
1830年(一説には1824年)イギリスの銀行家であるヘンリー・フィリップ・ホープは、一つの巨大なブルーダイヤモンドを購入した。彼は最も早い時期のファンシーダイヤモンドの蒐集家であり、1839年には「ヘンリー・フィリップ・ホープ氏による真珠と宝石コレクション目録」という本が出版されている。
この中には50個のダイヤモンドの項目があるが、その第一番に登場するのがホープダイヤモンドなのである。
のちにこの石は転売され、持ち主を変えていくが、その中の数人が不幸な最期を遂げたという話が、やがて持ち主を悲劇に陥れる不吉なダイヤモンドとしての評判を作ってしまった。
しかし、この話はこの石に多く関わった宝石商「カルティエ」の創作だという噂もある。
カルティエは、それまでセットされていた台からこの石をはずしてリフォームし、その後30年に渡ってホープダイヤモンドを所有することになるマクリーン夫人に売ったのであるが、マクリーン夫人は「他人には不吉な物が、私には幸運を呼ぶの」と言ったために、カルティエがこの話をつけたのだとも言われているのだ。
そして1946年、ハリー・ウインストンがマクリーン夫人のコレクションを全て買い取り、1958年の11月10日、これをスミソニアン博物館に寄贈したのである。
ウインストンは、ホープダイヤモンドの不吉な噂にはほとんど関心を払わず、この石を持ってたくさんの旅をしたが、もちろんウインストン家には災いは起きていない。(もちろん現在も世界的な宝石商である)
現在もスミソニアン博物館のミネラルコーナーで、この奇跡的な石を見ることができる。スミソニアンは、これを門外不出としているが、過去に2回だけ海外の展示会に貸し出したことがある。1度目は、1962年にパリで開かれた「フランス宝石の10世紀」であり、フランスはこの展示許可に対して後に「モナリザ」をワシントンに貸してくれるというお礼をした。
2度目は、1965年にヨハネスブルグで開かれた展示会への貸し出しで、この機会にダイヤモンドシンジゲートのデビアス社が、ホープダイヤモンドを科学的に調査しており、この石が、深さ12.6ミリ、長さ25.6ミリ、幅21.9ミリの「シミも疵もない完璧なダイヤモンド」であるということが立証されたのである。
さて、来月はいよいよ最終回です。最後には手前味噌になりますが、私の「ジュエリーコネクションシリーズ」のこぼれ話をご紹介しますね。
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