物語の中のジュエリーたち …4…
 再び海外の物語に戻って、オスカー・ワイルドの作品「幸福な王子」を取り上げてみました。
自らの瞳であるサファイアや身体に着せられた純金の箔を剥いでまでも、貧しい人々を救おうとした「幸福な王子」。
宝石で身を飾りたてるというお話とは対極にあるような、悲しいまでも純粋な愛の形として宝石が登場する物語です。
幸福な王子 (ワイルド童話全集/オスカー・ワイルド・著/西村孝次・訳/新潮文庫)
 町の空高く、高い柱の上に、幸福な王子の像が立っていました。全身うすい純金の箔がきせてあり、目にはふたつのきらきらしたサファイアが、また大きな赤いルビーが刀の柄に輝いていました。
[幸福な王子・8]
 これは、オスカー・ワイルドの童話「幸福な王子」の書き出しである。なんともうっとりするようなイントロではないか。(笑)  告白すると、実は私は今回のこの文章を書くために「幸福な王子」を読み返すまで、作者はグリムだと思い込んでいました。オスカー・ワイルドだったとはね…。  この「幸福な王子」の物語は、美しく飾られた王子の像が、つばめに頼んで貧しい人たちに自分の宝石や金箔を分けてやる話である。  町中に宝石のついた像を雨ざらしにしておくという不用心な設定についてはともかく、この王子は自分を飾っている宝石や金箔をはがしてしまったあと、溶鉱炉で溶かされてしまうのだが、鉛の心臓だけは溶けずに残り、死んだつばめとともに天使によって神の元に連れて行かれるのだ。  子供だったときにも、この話はとても印象的だったのだが、原作をきちんと翻訳したものを読んでみると、さすがワイルド、文章の中に色とりどりのイメージが織り込まれている。  おそらくワイルド自身も宝石モチーフを意識したのではないかと思われるのだが、つばめが王子に語って聞かせた「異国の物語」の中に、
 「エジプトではわたしを待ってくれています。(中略)やがてみんなは、えらい王さまの墓場へ行って眠るでしょう。その墓場には王さまご自身も彩色した棺の中にいらっしゃるのです。黄色いリンネルに包まれ、香料がたきこめてあります。首のまわりに、淡い緑色の硬玉の鎖がかかっており、しぼんだ木の葉みたいな手をしておられます」
 「明日わたしの友達が第二大滝のところまで飛んでいきます。(中略)お昼になると黄色いライオンが、水を飲みに水際までおりてきます。緑色の緑柱石(ベリル)みたいな目をしていて、その声ときたら大滝のとどろきよりも大きいのです」
[幸福な王子・18]
という文章がある。
 前回の「物語の中のジュエリーたち」を読んで下さった方は覚えて下さっていると思うが、「硬玉」は「翡翠」のことである。また、「緑柱石」というのは鉱物名で、緑色のもののことは「エメラルド」と呼ばれる。(余談だが、水色の緑柱石は「アクアマリン」である)
 また、このほかにも、
 つばめは王子の肩にとまって、自分がかずかずの異国で見たものの話をしました。(中略)手に琥珀の数珠をたずさえながら、自分の駱駝と並んでゆっくりと歩く商人のこと。また、黒檀のように真っ黒で、大きな水晶を崇拝する月の山々の王のこと。
[幸福な王子・18]
 という部分があるが、琥珀の数珠はともかく、黒檀のように真っ黒な水晶というのは、ちょっと珍しいかもしれない。
 このように、ワイルドは色を表現する手段として宝石を多用しているのだが、これは宝石の名前や色を知らない人にとってはかえってわかりにくくなる反面、謎めいた美しさをかもし出す有効な手段となっている。
 宝石の名前というのは、仮にそれを知らなくても「なんだか綺麗そう」と思わせるなにかがあるのだ。
 もっとも解説を読む限りではワイルド自身は、「快楽のために生きてきたことを悔いはしない」と書いているのだから、宝石を日常のものと捉えていたかも知れない。ワイルドの人生そのものに宝石が似合っていたのだろう。

 さて、もう少し「幸福な王子」のなかに出てくる宝石について書いてみよう。
 冒頭で引用したように、王子の像には刀の柄にルビー、ふたつの目にはサファイアがはまっていたのであるが、このふたつのあまりに有名な宝石は、実は同じ「コランダム」という鉱物である。
 宝石の硬度を表す「モース硬度」では、コランダムはダイヤモンドの次に固い「9」であり、水や薬品類にも耐える石なのでかなり悪い条件の元でも美しさが損なわれることはない。(従って、屋外に置く王子の像に使ったのは正解だろう)
 コランダムにはさまざまな色があるが、そのうち赤いものだけを「ルビー」と呼び、残りの色はすべて「サファイア」である。「イエローサファイア」や「ピンクサファイア」「ホワイトサファイア」などと呼ばれて、ジュエリーにもなっている。
 現在ルビーが採れるのは、ミャンマーとスリランカ、タイくらいで、そのうち、ルビーの中でも最高とされる「ピジョンブラッド」はミャンマーだけでしか採掘されない。
 「ピジョンブラッド」とは、その名の通り「鳩の血」の色のような赤い色をしたルビーのことで、もともと数が少ない上に年々大きい結晶が見つからなくなってきており、カラット数の大きい物には莫大な値が付けられている。
 では、サファイアの方はどうか。ブルーサファイアの最高級品は「コーンフラワー」、つまり「矢車草の青」である。矢車草の花の青に近い色を最高として、黒っぽいものや色の薄いものは価値が下がってしまう。
 「幸福な王子」の刀の柄についていたのは大きな美しいルビーとサファイアだったのだろうから、つばめに宝石を運んでもらった貧しい人たちは、うまく宝石商に売ることができればきっと数年分の生活費になったことだろう。
 ちなみに、最高級クラスのルビーで、大きさが大豆くらいあれば、ざっと五百万円くらいにはなるのだ。
 こうしてみると、宝石が他のものに比べていかに高価であることか。その辺に転がったら、あっと言う間になくしてしまうくらい小さなものが、高級外車と同じくらいの値段なのだ。
 それだからこそ、美しい物の例えとしてワイルドが好んだのだろうし、ワイルドに限らず古今東西の芸術家がさまざまに褒め称えてきたのだろう。

 来月はちょっと趣向を変えて「物語の中のジュエリー」ではなく、「ジュエリーの持つ物語」を紹介してみます。

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