物語の中のジュエリーたち …2…
 今月は、「赤毛のアン」の話を取り上げてみようと思う。
アンの物語についてはもうみんなご存じだろうから敢えて説明はしないが、実はアンの話の中には、宝石はそれほど出てこない。
 僅かにアンがカスバート家に引き取られてすぐに、見つからなくなって一騒動起きた「紫水晶のブローチ」と、アンがクイーン学院に合格してから開かれたホテルでの詩の朗読会につけて行かれるようにマシュウが買ってくれた「真珠の首かざり」くらいである。
赤毛のアン (原題:ANNE OF GREEN GABLES/L.M.モンゴメリ・著/村岡花子・訳/新潮文庫)
 紫水晶はマリラがもっともたいせつにしている品だった。舟乗りの叔父が、マリラの母に贈ったのを、母がマリラにのこしてくれたものだった。旧式な楕円形で、中に母の髪が一房はいっており、まわりはぐるっと、ごく上質の紫水晶でかこまれていた。
[赤毛のアン・136] 
 前回のこのエッセイを読んでくれた方ならおわかりだろうが、またしても「髪の毛」入りのジュエリーである。デザインのイメージだけはカットの方に載せておいたが、たぶん紫水晶はそれほど大粒の物ではなかったのだろう。しかし、美しい物にとても敏感なアンはそれを見て言うのだ。
 「(前略)紫水晶って、ただ美しいというほかないわ。あたしが考えていたダイヤモンドとおなじだわ。ずっと前、まだ一度もダイヤモンドを見たことがなかったときに、あたし、本で読んで、どんなものか想像してみて、きっと美しい、ぼうっと光る紫色の石だろうと思ったの。ある日、女の人の指輪にほんとのダイヤモンドを見たとき、あたしがっかりして泣いてしまったの。もちろん、とても美しいにはちがいないけれど、あたしの考えていたダイヤモンドみたいじゃなかったのですもの。(後略)」  
[赤毛のアン・136]
 このアンの気持ちはとてもよくわかる。幼い目には無色透明のダイヤモンドより、紫色の石の方が美しく見えても仕方ないだろう。しかも、忘れてはならないことに、現在のダイヤモンドに用いられている「ラウンドブリリアントカット」は、今世紀初頭になってから完成した技術なのである。(「赤毛のアン」は1904年に書かれ、1907年に発表されている。従って、カットの完成と同時期ではあるが、いきなりそれが流通したはずもない)
 つまり、アンの目に見えたダイヤモンドは、まだその完全な屈折率を持たない未完成のカッティングだったのだ。
 ダイヤモンドがあれほど美しいのは、石の中に入った光が、ほとんど損なわれずに屈折して再び表面に出てくることにある。したがって、アンの時代のダイヤモンドは、現在ほど見事に輝かなかったであろうし、石のセッティングなども、光を意識して作られていなかった筈なので、「紫水晶の方が美しい」とアンが思っても無理はないのだ。
 余談だが、現在最も多く目にするダイヤモンドの指輪の「立爪」のデザインの原型は、アメリカのティファニー社が発表した「ティファニーセッティング」である。これは、ダイヤモンドを支える部分を細い爪にすることによって、ダイヤの横や裏側からも光が入るように考えられたもので、そのシンプルな美しさは類を見ないものだった。
 現在でもティファニーのダイヤモンドリングは、このデザインのものが多く、エンゲージリングなどに人気であるが、いわゆる「立爪」は、石を大きく見せるために爪部分が大きく張り出しているので、およそ本家のデザインとは違うものになってしまった。
 大手のデパートなどでは「ティファニー風」などと、それなりに工夫も見られるが、やはり本物のティファニーセッティングの、ギリギリまで爪を目立たせないように作られた指輪にはかなわないような気がする。

 「真珠の首かざり」の方は、特に説明するまでもなく、真珠をつなげて作られたものである。この形は、昔も今もほとんど変わっていないが、それだけ「真珠」という宝石(厳密には石ではないが)がなんの加工もしなくても美しい物だからだと思う。
 実は「赤毛のアン」が書かれた時代というのは、ラウンドブリリアントカットの発明だけでなく、真珠にとっても大事件のあったときだった。1903年、日本では御木本幸吉氏が、世界で初めて半円の養殖真珠を誕生させ、1908年には真円真珠の特許を取っているのだ。
 御木本氏の養殖真珠は、1919年からヨーロッパでも売り出され、真珠に対する認識の革命となっていく。
 養殖が成功するまでは、もちろん真珠は天然物だけだったので、大変に貴重なものだった。それを人間の手で作り出せるようになってしまったのだから、天然真珠を扱う宝石業者は戦々恐々としたのだろう。1920年代にはパリで宝石業者と御木本の「養殖真珠は本物の真珠と認められるか否か」ということについて裁判にもなっている。
 話が少々それてしまったが、そういうわけでアンの時代には真珠は今以上に高価な宝石だったのだ。それでも、詩の朗読会に集まった上流婦人たちは、よりきらびやかな宝石を身につけており、アンの友人であるジェーンがそれを羨ましがると、
「あたし、真珠の首かざりをつけた、グリーン.ゲイブルズのアンで大満足だわ。マシュウ小父さんがこの首かざりにこめた愛情が、ピンク夫人の宝石に劣らないことを知っているんですもの」
 と、答えている。(ピンク夫人とは、朗読会でアンを気に入ってくれた、ピンクのドレスを着た裕福な夫人のこと)

 「赤毛のアン」の話は、都会よりも田舎、人造物よりは自然を礼賛する物語なので、宝石についての記述を期待する方が間違っているのかも知れない。でも、アンの続編の中には、ギルバートが結婚記念日にダイヤのネックレスを贈るシーンもあるのだ。しかも、その贈り物を受け取る前に、アンは妙な焼き餅を妬いて、ギルバートが昔くれた「ピンクのエナメルのハート」のついたペンダントをつけてパーティーに出席したりもしている。もちろんそれはそのときのアンの年には似合わないものなのだが、卑屈な気分で敢えて身につけるのだ。
 こういう部分に遭遇すると、アンもやはり女なのだなあ。と愉快になってしまう。

 こうして古い翻訳小説を見てみると、必ずと言っていいほど宝石は、「形見」や「記念品」として登場する。やはり宝石は身につけるだけでなく、人生をも飾ることができるものなのだ。
 次回はちょっと視点を変えて、日本の昔話を取り上げてみようと思います。

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